※最初に…自分の介護経験をもとに自分なりに感じたことを書いています。不快に思われる方は読むのをやめて下さい。
義祖母を自宅で5年間介護していた私ですが、介護をして感じたことがあります。
「介護される」「介護する」側、お互いが感謝することで良い関係が保てる。
そう感じています。
むしろ介護する側としては、『ありがとう』という言葉が介護される側からなければ心が折れてしまうかもしれません。
義祖母は認知症ではなかったため、自分の意志がハッキリといえる人でした。
義祖母はいつも言っていました「ありがとうね」という言葉を。
その言葉を聞いて私も承認欲求が満たされ良い気分になっていたのは確かです。
もし、義祖母がわがままな人で自分のことばかりを考えている人、もしくは介護するが当たり前という態度をとられたら、きっと介護は出来なかったと思います。
そんな義祖母を介護しながら「介護される側」はどんな気持ちなのか?
私が介護してどんな気持ちになったか?(「介護する側」の気持ち)を考えてみました。
「介護される」「介護する」側の気持ちを考えてみる!
色んな人がいる中、介護も色んなケースがあると思います。
介護に苦労されている方でこの記事を読んで不快に思われる方もいるかもしれないですが、1つのケースとして見てくださいね。
私の状況はこんな感じでした。
認知症ではなかったため、比較的介護しやすい方だったんじゃないか?
と私の中では思っています。
「介護される側」の気持ち
私は介護されていた側ではないので、本当の気持ちは分かりません(;^ω^)ごめんなさい。
ですが、義祖母が良く言葉に出していたことが介護される側の気持ちなのではないか?
その言葉から義祖母の気持ちを考えてみました。
介護で家族に迷惑をかけたくない
義祖母はたまに言葉にしていたのが「家族に迷惑をかけたくない」「手を煩わせたくない」という言葉でした。
しかし、自分の体が徐々に弱っていくなかで、人の手を借りずに生活していくのは不可能に近い。
きっと孫嫁ということもあるのか病院の通院をしている時はいつもすまないね。
と申し訳なさそうな顔で言っていました。
頭がしっかりしているからこそ、自分の老いる事、家族の負担になっている。
ということがわかって辛そうでした。
介護される側のストレス!年々老いる自分の体
義祖母はいつも言っていました。
その年齢にならないと、その時の気持ちがわからない。
つまり…今の自分の体の状況も気持ちもその年齢にならないとわからない。
ということを言っていました。
年々出来ないことが増えていって、その先の未来…もっと出来ないことが増えていく。
それが手に取るようにわかるから、きっと不安や怖さもあったようです。
「早くお迎えが来るといいんだけど…でも与えられた寿命だからね…」
と時々言っていました。
これから自分はどうなっていくのか?そんなストレスが大きいように思えました。
介護される側の悩み
介護される側の悩みは色々ありそうですが、義祖母がよく口にしていた悩みは「体の状態」と「お金の問題」です。
「体の状態」は先ほどの介護ストレスと同じで自分の体が思うように動かない。頭でわかっても体が動かない。
そして、免疫力が下がって今までなかったような病気にもなる。
自分の思いもしない病気になったり、状態になってきていることへの不安。
「お金の問題」はやはり、体の状態が低下することで通院、薬代などがかかってくることです。
通院の回数が増えたり、入院、手術をすれば何十万円というお金が飛んでいきました。
また、デーサービスやショートステイなどの介護サービス利用料。
幸いなことに祖母は自分の年金で通院費、入院代、施設の利用料など出すことができたので助かりました。
足りない場合は、「誰がお金を出すんだ!」と家族内でトラブルになったのは安易に想像できます(;^ω^)
老後はやっぱりお金も必要なんだな…。と介護しながら実感したし、早いうちからこの事が知れて良かったなっと勉強になりました。
※介護でどれだけお金がかかるのか?もっと知りたい方はコチラの記事も参考にしてください。
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「介護する側」の気持ち
今度は介護する側の気持ちです。
これも人それぞれな気もしますが、私が義祖母を介護して感じたことを書いています。
介護される側の問題!?介護したくなる人とは?
こんなこと言って申し訳ないけど、「介護したくなる人」と「介護したくない人」がいると思います。
介護したい人は、介護する側を気遣ってくれる人、感謝を伝えてくれる人。
介護したくない人は、自分のことばかり考えている人。介護やってもらうが当たり前になっている人。
義祖母は私が孫嫁ということもあったのか、遠慮していた部分があったと思います。
そんなことから、いつも私の負担がないように進めていい。と介護サービスも素直に受け入れてくれました。
自宅でお風呂に入るのが難しくなった時は、デーサービスを利用してくれたし。
介護休暇を取るために月に1度のショートステイ、旅行などに行くときもショートステイも利用してくれていました。
そして、冒頭にも書きましたが「ありがとう」という言葉が多かったです。
介護は助けたい!という気持ちだけでは出来ない
その人を助けたい!と思う気持ちはあっても、毎日続く介護にその気持ちは打ちのめされてしまいます。
これは、どんなに人間が出来た人でも、毎日介護をしていればそういう日は1日はあるんじゃないか?と思ってしまいます。
義祖母は介護したくなる人で、介護者側からも介護しやすい人でした。
それでも、時にはぶつかり合うこともあり、私自身の感情が抑えられない時もありました。
後から、
「何であんなことを言ってしまったのだろう…」
と助けたいという気持ちとは相反したことを言ってしまって、後悔の念に苛まれることも多々ありました。
「介護する側」も「介護される側」も感謝をし合うことで良い関係が保てる?
「介護する側」の場合、介護してあげるのだから相手に感謝することなんてないだろう…。
そんな風に思うかもしれません。
私の場合は、嫁に来てから義祖母からは様々な面で助けてもらいました。
それは、近所付き合いのことだったり、この地域のマナーだったり…。
子供が小さい頃、仕事(1時間~2時間程度)・家事の時に子供を見てもらったり。
子供に服やベビー用品を時々買ってくれたり、おこづかいをもらったり。
初めての子供でどうして良いか分からない時も、相談にのってくれていました。
色々ありますが、そんなこともあって義祖母には感謝しています。
介護をしている時は、いつも穏やかでいれた訳ではないですが( ;∀;)
それでも心の根の底には、今までお世話になったから…。
という感謝と心底嫌いになれない。という気持ちがあったからこそ介護出来たと思います。
様々な理由で介護をする人がいるとは思うけど、やっぱり昔お世話になった。
というような感謝出来る出来事がないと介護ってなかなか難しいと思います。
例えば、
『たまにしか会わない義父母の介護をしなくてはいけなくなった。』
『嫁姑関係が悪いのに姑の介護をしないといけない。』
などほとんど関係性がない又は関係が悪い。
となると、介護は出来ない。したくない。と思う人が多いと思います。
また、義祖母も何度も言いますが、いつも感謝の言葉をかけてくれていました。
そんなお互いが感謝することが出来たから、最後まで良い関係が保てたのではないかな。と思っています。
最後に
介護のケースによって「介護される」「介護する」側の気持ちって違うとは思うけど。
私が義祖母の介護でお互い良い関係を保つことが出来たのはお互い感謝し合うことが出来たから。
だと思います。
私の知人の場合は、子供の頃、両親は働きに出てて祖父母に面倒を見てもらっていた。
だから、おじいちゃんおばあちゃん大好きだから介護は私がするんだ。
と看取りまでしていました。
実際介護をしてみると、良い人だけではやってはいけません。
時には感情を抑えきれなくなるほどイライラするときもあります。
そんな時、やっぱり感謝出来た出来事があったからこそ、”介護を辞める”という、選択を取らなかったんだと思います。
・介護4まで在宅介護
・認知症ではない